構成文化財の名称 | |
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指定等の状況 | 国指定(無形民俗) |
ストーリーの中の位置づけ | 中世に安定した統治を行い米作りの発展に寄与した菊池氏が、懐良親王 (かねながしんのう)を迎え年頭の祝儀として行ったことを起源とする芸 能。中世の松囃子の一形態を伝えるものとして重要であり、能の変遷過程を知る上でも全国的に貴重。 |
文化財の所在 | KIKUCHI |
箇所が特定できない文化財については、大まかな位置を示しています。
構成文化財の名称 | 概要 |
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菊池の松囃子 | 菊池の松囃子は、古くから菊池市において伝承されている芸能の一つであり、毎年10月13日菊池神社秋の大祭に、菊池高校前に建つ菊池松囃子能場(県指定文化財)で演じられています。能場の前には「将軍木(しょうぐんぼく)」と呼ばれる椋の木があり、征西将軍である懐良(かねなが)親王が杖を突いたときに芽吹いたものであるともお手植えのものともいわれているこの木を親王に見立てて舞います。 その起源については定かではありませんが、現在伝承されている詞章(のりと)などからみて、室町期から継承されているものと考えられています。宝暦7年(1757年)の「菊池松囃子起源書」によると、南北朝時代、菊池15代武光の時に征西将軍として下向した懐良親王のために、正月の祝言として守山城内で行われたのが始まりといわれています。当時は正月2日でしたが、後に武光出陣中により正月の松囃子ができずに帰還を待ち、7月15日に行ったのが恒例となったそうです。 松囃子は舞人1名、大鼓2名、太鼓1名の囃子方と不定数の地方(じかた)及び後見1名により演じられます。舞の振りが古風であり、謡(うたい)も素朴な要素をとどめ、能の変遷過程を知る上で大変貴重なものです。勢利婦(せりふ)中に「寒暑時をたがえず」と順調な天候の表現があり、農耕への期待がうかがえます。 国指定の無形民俗重要文化財。 |