構成文化財の名称 | |
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指定等の状況 | 国史跡 |
ストーリーの中の位置づけ | 米を備蓄した古代の軍事補給基地。発掘調査により、大量の炭化米、米倉跡が確認されている。また、当地には扇で日没した太陽を呼び戻して田植えを終えさせた「米原(よなばる)長者伝説」が残る。 |
文化財の所在 | YAMAGA、KIKUCHI |
箇所が特定できない文化財については、大まかな位置を示しています。
構成文化財の名称 | 概要 |
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鞠智城跡 | 鞠智城(きくちじょう)は、東アジア情勢が緊迫した7世後半にヤマト政権が築いた山城です。発掘調査により、大量の炭化米、米倉跡が確認されています。また、当地には扇で日没した太陽を呼び戻して田植えを終えさせた「米原(よなばる)長者伝説」が残っています。 663年「白村江(はくそんこう)の戦い」で大敗したヤマト政権は、唐・新羅の侵攻に備えた山城を西日本各地に築きました。最南端の古代山城鞠智城は、九州を統治した大宰府を守り、有明海からの外敵侵攻や隼人対策の拠点だったと考えられています。 鞠智城は、『続日本紀』など、国の歴史書にも記された重要遺跡として、平成16年(2004年)に国史跡に指定されました。 周囲の長さ3.5km、面積は55haの広い城内では、昭和42年(1967年)から発掘調査が続き、八角形建物をはじめとする72棟の建物、貯水池、土塁、城門など、古代山城の姿を物語る貴重な遺構が発見されています。八角形鼓楼、米倉、兵舎、板倉といった復元建物やガイダンス施設「温故創生館」を巡り歩けば、菊池川流域の豊かな自然と歴史の息吹をぞんぶんに楽しむことができます。 |