構成文化財の名称 | 菊池川流域の弥生時代の大集落遺跡群 |
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指定等の状況 | 国史跡 ほか |
ストーリーの中の位置づけ | 盛んに米作りが行われ、大規模な集落が菊池川流域各地に営まれた。遺跡からは米作りを示す道具、特に鉄器が数多く発掘されている。 |
文化財の所在 | TAMANA、YAMAGA、KIKUCHI、NAGOMI |
箇所が特定できない文化財については、大まかな位置を示しています。
構成文化財の名称 | 概要 |
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大原遺跡 | 菊池川右岸の玉名台地上に位置する大原遺跡は、市道岱明(たいめい)玉名線道路改良事業に伴い平成24年から平成26年の2か年かけて発掘調査が実施されました。発掘調査では弥生時代後期の竪穴建物跡を中心とした多数の遺構と多量の遺物(土器・鉄製品等)が出土し、その中には、中国で作られた鏡の破鏡(人為的に割った鏡)や北部九州でされた鏡の破鏡や、今山産(福岡市)の石斧、阿蘇産鉄褐鉱を素材とする赤色顔料(ベンガラ)など、北部九州や阿蘇地域との交流を示す遺物も含まれていました。そして、島原半島出土のものと共通する土器が出土しており、有明海沿岸の集落との交易も示すものも見られます。また、籾殻痕のみられる土器片や石包丁、鉄製穂積具など稲作が行われていた痕跡もみられました。 このような状況を鑑みるに 隣接する木船西遺跡や塚原遺跡も含め、稲作により多くの人の生活を支え、弥生時代中期から古墳時代初頭にかけてそれぞれの地域の人々との交易をつなぐ結節点としての役割をもつまで発展した集落であったと考えられます。 |
柳町遺跡 | 現在でも稲作が盛に行われている玉名平野の中央部、菊池川右岸に位置する柳町遺跡は、低湿地に囲まれた微高地上に展開する縄文時代晩期から平安時代初頭までの複合遺跡で、弥生時代終末期から古墳時代初頭には集落が形成されていました。 国道208号バイパス建設にともない、平成7年から平成11年にかけて約5年間、発掘調査が実施されました。その際、全国的にも珍しい木製短甲が井戸の中から出土し、一緒に出土した棒状の留め具には「田」の文字が書かれていました。この発見は、日本最古級の文字を記した可能性がある事例として注目を集めました。木製短甲以外にも農具等の木製品が多量に出土しており、遺跡近辺の低湿地を利用し、稲作を行っていたことがうかがえます。また8世紀中ごろには、低湿地内を流れる小河川を埋め大きな畔が形成されている状況も発見され、玉名平野条里が整備された当時の名残ではないかといわれています。 |
方保田東原遺跡 | 全国的に米作りが行われるようになった弥生時代に、菊池川流域では水の引きやすい川沿いの平坦な場所で米が作られ、その後鉄製の道具を使い生産性を上げていきました。その結果、流域には巨大な集落が各地で営まれました。 山鹿市東部の菊池川に北接する方保田(かとうだ)台地に広がる今から約1700~1900年前の遺跡です。遺跡の範囲は約35ヘクタールと広大で、東京ドーム7.5個分にあたります。 それまでの発掘調査により、大量の土器をはじめ出土例の少ない貴重な遺物が多く出土したことから、昭和60年に「中九州における弥生時代の拠点的な集落遺跡」として国の史跡に指定されました。加えて、土器・土製品452点、金属製品371点、石器・石製品54点、貝輪2点、ガラス玉96点の合計952点が、平成29年に国の重要文化財(考古資料)に指定されています。 遺跡は芝生公園となっており、出土文化財管理センターが併設されています。出土品のうち主だったものは山鹿市立博物館で、それ以外を出土文化財管理センターで収蔵、展示しています。 毎年、地域の子どもたちらが遺跡の畑にひまわりを植えており、見ごろを迎える7月半ばごろにクイズラリーイベントを開催しています。 |